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東北関東大震災

2011年3月11日、忘れられない一日となりました・・・・

宮城県沖でマグニチュード9.0の巨大地震発生



17日現在、死者5000人以上・安否不明者は16,000人以上です。

避難所に身を寄せている人も41万人・・・・

昨日から雪が降り、今朝の気温は氷点下です。

電気・ガス・水道や通信回線が乱れ、必要物資が不足しています。

大変な状況下ですが、一人でも多くの方が救出されますよう

心よりお祈り致します。



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私はその当時、社内(ビルの5F)で仕事をしていました。

今まで経験したことのない激しい揺れで、

全社員が机の下に潜り、揺れが治まるのを待ちました。



とても長い時間に感じました・・・



非常口を確保し、階段から非難して隣の公園で待機

そのまま歩いて帰宅することになりました。



交通網はマヒし、歩道には歩いて帰宅する人たちの

長い行列が出来ました。



F1010006



家族や友人たちの安否がとても心配でしたが、

携帯は使い物になりません。

不安な気持ちで歩いていると余震が襲ってきます。



F1010003



雪の降る中、2時間半歩き続けて

やっと帰宅しました。

バニママと三女、チェリー・マロン・バニラは、怪我も無く

家にいて無事でした。



でも、長女と次女の連絡がとれません!

長女は大学、次女は仙台港のイベント会場「夢メッセ」へ

出かけていました。



夢メッセと言えば港のとなり・・・津波が心配です。

災害用伝言板で二人の娘と連絡がとれました。

長女は、「一人暮らしの友達が一緒だから帰れない」の返事、

次女からは「夢メッセのとなりのビル2階に非難したが、

津波で出れない。携帯の電源も切れる」の返事・・・・一大事です。



長女へは、すぐ帰宅するように話をしましたが

何だかんだと理由を言っては、帰ろうとしません・・・・

こんな時に何をしてるんだろう?

明るいうちに帰ってこないと、どんな災害が待ち受けているか

分かりません。



一緒にいたのは、家族も知らなかった「彼氏」でした。

こんな時に告られても・・・・(笑)

彼氏を一人にさせるのは危険なので、

複雑な心境でしたが、家に連れてくるように言いました。



義父母の家も心配です。

近所の名取でも被害があったということで

バニ家に非難させるべく迎えに行きました!



そして、次女です。

連絡が取れなくなって数時間が経過・・・・

テレビのニュースでは、津波の被害の様子が報じられ

一刻を争う事態になりました。



「二次災害の危険があるので、海には近寄らないように」と

報じられてましたが、もう我慢できません!

夜10時過ぎに家を出発して、救助へ向かいました。



道路は陥没や隆起が起こり、スピードが出せません。

停電により、信号機や街灯の照明も真っ暗です。

消防車と救急車のサイレンが鳴り響き

多賀城の方面から黒煙が上がっていました。



夢メッセまであと2Kmぐらいという所で

道路が冠水していて車では近づけません。

海水の中を歩き、鉄屑と化した車を何台もよじ登って

越えましたが、進めません・・・・・



場所を変えては何度も繰り返しましたが、どこも同じでした。
(↓の×印のところ)



津波地図1



結局、警察に電話して救助の依頼をしましたが

「名前と避難場所」聞かれただけで、誰かを向かわせますと一言。

忙しくて、それどころでは無いようです。



私の他にも2、3名の方が、家族を助けたいと

冠水した道路を歩いていました。

でも、最後は諦め引き返されました。



結局、一番最初にチャレンジした青の×印(ニトリ付近)に戻り

電池が無くなりかけた懐中電灯を持って、ルートを探していると

仙台港のアウトレットの駐車場が一段高くなっていて

進めることが分かりました。



辺りには、津波に巻き込まれて大破した車が

山積みになっています。

暗くてよく見えませんが・・・・



0311_001



車がこんな状態でしたら、中にいた人は助からないでしょう・・・・

なんとも切ない気持ちになりました。



0311_002



でも、もし生きていた人がいたらと・・・・

車内を照らしながら進みました。



0311_003



真っ暗だし、人もいないし、方角も分かりません・・・・

でも、津波は2回、3回と繰り返し襲ってきます。

限られた時間での捜索は、不安がともないました。



自分を信じて前進あるのみ!

すると突然見慣れた夢メッセのゲートが見えました



やっとたどり着いた!!



でも、建物の中を覗くと言葉では言い表せないような惨状です

とても人間が生きていられるような状況ではありません・・・・

津波の破壊力の強さに驚きです。



隣のビルの2階にも破壊された痕だけが残っていました。

遅かったか・・・・

次女を助け出すことが出来ず、帰る気力も失いかけた頃

津波警報のサイレンが鳴り

「潮位の変化があります、至急非難してください」と何処からか

スピーカーでアナウンスがありました。

もう歩いて戻ったのでは間に合いません・・・・



最後の力を振り絞り、慌てて戻ろうとした時に

裏の方の建物から懐中電灯の灯りが見えたのです。

ここで帰ったら、次女は終わりだと思い

灯りの見えた建物へ入ると、ここも粉々に破壊されており

人の気配はありませんでした・・・・もうダメか?



隅々まで探していると建物の上の方から

人の声が聞こえてきました!!

「誰かいますか?」と大声で叫ぶと、

「どこから来たのですか? 今、津波警報が出ているので

すぐ下へ迎えに行きます」と返事がありました。



助けてもらえる

ひょっとして、娘もここに非難しているのか?



上にあがると大勢の人が非難していました。

ここまで来るなんて自殺行為ですよ!と怒られましたが

避難者リストにうちの娘の名前があり

うれし泣きしました・・・(深夜3時発見)



ビルの5Fにいますと言われ、娘を探しましたが

200名以上の人が非難されており

暗闇で足の踏み場も無いくらいの方が寝ているので

明るくなるのを待ちました。



もちろん、暖房も毛布も食料もありません・・・・

でも、嬉しくてどんなことでも耐えられるような気持ちでした。

ここにいる人たちの家族も心配されてるだろうな

でも、みんな生きてて良かった♪



津波地図2



辺りが明るくなった6時ごろ

娘を探しました・・・

でも、何回探しても5Fのフロアにはいません。



まさか・・・人違い?



5Fに非難していると名簿に載っていたのに・・・

念のため、4Fも・・・・いません。

3Fも・・・・いません。



名簿を作成したイベント管理会社の方に相談し

一緒に探してもらうと、3Fの応接室で寝ていました(笑)

他の避難者は、オフィスの廊下で寝ているというのに・・・

でも、生きてて良かった〜☆



潮位が落ち着いたところで出発です。

いつ津波が襲ってくるか分かりません。



ビルの中からの景色です↓↓



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次女とそのお友達2名も一緒に帰ることに・・・・

外の光景に唖然です



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(一番左 次女)


非難したビルの1F



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(すももちゃんの実家カインズホームも)



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私たちは帰れましたが、

中にいる人たちは、車が流されてしまっているため

帰る手段がありません。



産業道路までは車が入れることを告げ

そこからバスで救助してもらうようアドバイスしましたが、

実際に帰れたのは、被災した3日後だったようです。

でも、皆さん無事で良かったです♪



「最悪の日 3月11日」

新聞に書かれた文字を見て次女が一言

お父さんの誕生日「最悪の日」だって〜(笑)

次女の笑顔を久しぶりに見たような気がします・・・・



多くの皆さんから、励ましのメールや電話をいただきました。

私たち家族の心の支えとなりました。

心より、お礼申し上げますとともに

一人でも多くの命が、救出されることを願っています。

 


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ご返事が出来ないので、コメントはクローズしています・・・・



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